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裁判と通訳と話し方
ただいま我が家では、ちょっとした裁判ものブームが到来しています。ゲームの『逆転裁判』シリーズをきっかけに、映画で法廷もの、弁護士もの、検事ものを立て続けに見ているところです。裁判まわりのドラマでは、事実が事実として認められる難しさ、社会の暗部に巣食う巨悪なんかが描かれスリリングなエンタメ作品ができあがっています。
重要な要素としてよく出てくるのが陪審員の評決をめぐるあれこれ。『十二人の怒れる男』を筆頭に陪審員ものも多いですね。人はどれだけ公正な目で事件を認識できるか、正しいと信じる意見を迫害を受けても述べられるか、といった人の心の頼りなさを目の当たりにさせられ、いずれも傑作。もちろんフィクションの世界なので強調されている嫌いがあるとは思いますがね。

裁判員制度に関連して、本日の朝日新聞のオピニオン面「私の視点」に水野真木子さん(金城学院大教授、司法通訳を含む通訳論)の「法廷通訳の訳し方に注目を」が載っています。
水野さんが所属している日本通訳翻訳学会の法廷言語分析チームでは2年間にわたって法廷実験を行ったとのこと。
実験は、模擬裁判員と模擬通訳人を使っての模擬裁判。それによると、通訳人の訳し方によって裁判員による事件の認識にギャップが生まれたり、被告に対する印象が左右されたりすることが確かめられたとのこと。
多くの国で「法言語学」の実証的研究が進んでいるので、日本でも形式面だけではなく訳し方や言葉の面を含んださらなる研究の進展を期待したい、という趣旨のコラムでした。

自国語による裁判ですら事実の見極めが難しいというのは『十二人の怒れる男』の描き方を見て容易に想像がつきますし、現実にも足利事件のような悲劇も起こっているわけで、そこに外国人被告と通訳人という要素が加わると、ますます慎重さが求められるということがよく分かりました。

聞き手に対して不要な予断を与えかねないという点は、裁判に限らずいつでも通訳人が留意しなければならないことです。訳が正確かどうかというだけでなく、水野さんのコラムで紹介されたように「声も大きく明確で自信のある話し方」や「ためらいがちに多少弱々しい話し方」といった話し方ですら聞き手に余計な印象を与えてしまうとなると、自分が通訳をするときのパフォーマンスは果たして?と自問せざるを得ません。
by tenohira-ya | 2009-06-27 17:20 | 翻訳に関すること