IE9ピン留め
中国語徒然草 by 小桜
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カテゴリ:翻訳に関すること
  • “里”を訳さなくてもいい理由ーー翻訳と中文和訳
    [ 2011-01-17 23:39 ]
  • 依頼案件の性格と翻訳者のモチベーション
    [ 2011-01-12 16:53 ]
  • 仕事との出会い
    [ 2010-11-26 01:06 ]
  • 100元って高いの?安いの?――物価に訳注をつけると
    [ 2010-09-06 13:13 ]
  • 翻訳の競争入札について
    [ 2010-05-29 23:11 ]
  • 大統領演説の翻訳読み比べ
    [ 2010-02-15 09:49 ]
  • 【読書メモ】中文和訳と翻訳の違い
    [ 2010-02-01 14:11 ]
  • 裁判と通訳と話し方
    [ 2009-06-27 17:20 ]
  • 「おねがい」のしかた――プチ語用論
    [ 2009-01-11 18:19 ]
  • 仕事の波
    [ 2008-04-18 10:08 ]
“里”を訳さなくてもいい理由ーー翻訳と中文和訳
「財布はカバンに入れた。」
中国語で書くと、
“钱包 放在 提包里 了。”
これをまた日本語に訳しなおすと、
「財布はカバンの中に入れた。」
あら、もとの文より長くなっちゃった。

この場合、カバンは単なるモノではなくて、財布をしまう場所としてのカバンなので、中国語では“里”をつけて方位フレーズにし、場所であることが分かるようにしなければならない。
“钱包 放在 提包里 了。”

問い:
では、この中国語文を日本語に訳す場合、
1)財布はカバンの中に入れた。
とするのと
2)財布はカバンに入れた。
とするのでは、どちらが適訳か。

答え:
文法の授業で中文和訳をしてる時は、1)。
小説やエッセイを人に読んでもらうために翻訳してる時は、2)。

なぜ翻訳では“里”を訳さなくていいのか?
日本語のカバンは、物を表す普通名詞でありながら、その中に何かを入れることができるという機能を常に想起させ、他の成分の助けを借りなくても財布のしまい場所という意味を持つことができる。「財布はカバンに入れた。」は、充分に正確で簡潔な日本語文だ。
わざわざ「カバンの中に」と他の成分を加えると、
「カバンの外ポケットじゃなくて中に入れたのよ」
「放ったらかしになんかしないわよ、ちゃんと入れたわよ」
と、言外の意味を含ませることができる。

もし、中国語の原文にこうした含意があるのなら、“钱包 放在 提包里 了。”ではなくてもっと違う表現になっているはず。
逆にいうと、この文に“里”がある理由は、文法ルールで必要だからということにすぎない。前後に特別な文脈がなければ、この文は単に「財布はカバンに入れた。」という意味を伝えるだけだ。

なのにやみくもに一対一で単語ごとに対応させようとすると、カバンなんていう簡単な単語に足をすくわれ、余計な訳を生んでしまう。

中文和訳は文法の理解度を確かめるための訳。翻訳は原文が伝えようとしている意味を再現するための訳。両者は行為の性質が違うし求められる注意力も違う。

原文の意味を把握しそこねたり、自分が書いた日本語文の意味に無頓着になったり……。疲れてくると、翻訳をしていたつもりが中文和訳をしていた、ということも。ああ私ったら、目を開けながら寝ていたに違いない!急がば回れ。そんな時は、ひと休み。お茶にしましょう。
by tenohira-ya | 2011-01-17 23:39 | 翻訳に関すること
依頼案件の性格と翻訳者のモチベーション
実務翻訳にもいろいろな原稿がありますが、中には正直いうとやる気を失わないのがやっとという案件もあるもの。

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by tenohira-ya | 2011-01-12 16:53 | 翻訳に関すること
仕事との出会い
コラムを書きました。

ひよこ翻訳家よちよち道中 第4回 仕事との出会い

而立会会報「達雅」第22号
(PDF)の8ページからです。

初仕事とどうやって出会うか、出会ったか、その後の営業活動は。
by tenohira-ya | 2010-11-26 01:06 | 翻訳に関すること
100元って高いの?安いの?――物価に訳注をつけると
コラムを書きました。

中国語翻訳研究会「而立会」の会報です。
こちらのリンクから会報第21号のPDFをごらんいただき、3ページ目からです。
http://www.geocities.jp/jiritsukai/tatsuga/index.html
by tenohira-ya | 2010-09-06 13:13 | 翻訳に関すること
翻訳の競争入札について
コラムを書きました。
「翻訳の競争入札について」

而立会会報『達雅』(第20号6ページ「ひよこ翻訳家よちよち道中」)

官公庁の入札のしくみと、翻訳の質のアピールが難しいという悩みについてです。
by tenohira-ya | 2010-05-29 23:11 | 翻訳に関すること
大統領演説の翻訳読み比べ
春節快楽!

コラムを書きました。
「大統領演説の翻訳読み比べ」

而立会会報『達雅』(第19号4ページ「ひよこ翻訳家よちよち道中」)

池上彰さんのコラムの紹介が中心です。日本語訳文の仕上げの腕について。
by tenohira-ya | 2010-02-15 09:49 | 翻訳に関すること
【読書メモ】中文和訳と翻訳の違い
翻訳と、語学の一環としての和訳とは、違う。
とは思っていますが、まだ自分の言葉で表現するにはいたっておりませんでした。
『翻訳通信』の今月号に、翻訳では「理解した結果を母語で書いていく。」とあったので納得しました。
翻訳することを、「訳す」というのをやめて「翻訳する」と言うことにしようかな。自分へのいさめとして。

翻訳の評価の仕方、「原文に忠実」の意味など、周辺の議論も広げてくださりそうなので楽しみです。

--
山岡洋一「英文和訳についての覚書」より
(『翻訳通信』2010年2月号「翻訳概論」)
http://homepage3.nifty.com/hon-yaku/tsushin/bn/201002.pdf
 そこで、英文和訳と翻訳にどのような違いがあるかをみていこう。
 第一に、目的が違う。英文和訳は英文の読解力を試験の採点者に示し、高い点数を獲得することが唯一の目的である。これに対して翻訳では、原文の内容を忠実に読者に伝えることが目的である。
 第二に、過程が違う。英文和訳では、原文を読み、訳していく。その際に、語句や構文を決められた訳し方で訳していくことが大切である。翻訳では、原文を読み、調べ、理解し、理解した結果を母語で書いていく。英文和訳では訳し、翻訳では調べて書く。
 第三に、フィードバックの仕組みが違う。英文和訳では点数と正解が示されるので、どこをどう間違えたのかを検討できる。翻訳では訳文を見なおす際に、意味が通じるかどうかを検討する。意味が分からない文章になっている場合には、原文の読解か内容の理解、母語の文章のいずれかが不適切である可能性が高い。そこで、どこがどのように不適切かを検討する。英文和訳では正解がカギになるのに対して、翻訳では意味が手掛かりになる。
by tenohira-ya | 2010-02-01 14:11 | 翻訳に関すること
裁判と通訳と話し方
ただいま我が家では、ちょっとした裁判ものブームが到来しています。ゲームの『逆転裁判』シリーズをきっかけに、映画で法廷もの、弁護士もの、検事ものを立て続けに見ているところです。裁判まわりのドラマでは、事実が事実として認められる難しさ、社会の暗部に巣食う巨悪なんかが描かれスリリングなエンタメ作品ができあがっています。
重要な要素としてよく出てくるのが陪審員の評決をめぐるあれこれ。『十二人の怒れる男』を筆頭に陪審員ものも多いですね。人はどれだけ公正な目で事件を認識できるか、正しいと信じる意見を迫害を受けても述べられるか、といった人の心の頼りなさを目の当たりにさせられ、いずれも傑作。もちろんフィクションの世界なので強調されている嫌いがあるとは思いますがね。

裁判員制度に関連して、本日の朝日新聞のオピニオン面「私の視点」に水野真木子さん(金城学院大教授、司法通訳を含む通訳論)の「法廷通訳の訳し方に注目を」が載っています。
水野さんが所属している日本通訳翻訳学会の法廷言語分析チームでは2年間にわたって法廷実験を行ったとのこと。
実験は、模擬裁判員と模擬通訳人を使っての模擬裁判。それによると、通訳人の訳し方によって裁判員による事件の認識にギャップが生まれたり、被告に対する印象が左右されたりすることが確かめられたとのこと。
多くの国で「法言語学」の実証的研究が進んでいるので、日本でも形式面だけではなく訳し方や言葉の面を含んださらなる研究の進展を期待したい、という趣旨のコラムでした。

自国語による裁判ですら事実の見極めが難しいというのは『十二人の怒れる男』の描き方を見て容易に想像がつきますし、現実にも足利事件のような悲劇も起こっているわけで、そこに外国人被告と通訳人という要素が加わると、ますます慎重さが求められるということがよく分かりました。

聞き手に対して不要な予断を与えかねないという点は、裁判に限らずいつでも通訳人が留意しなければならないことです。訳が正確かどうかというだけでなく、水野さんのコラムで紹介されたように「声も大きく明確で自信のある話し方」や「ためらいがちに多少弱々しい話し方」といった話し方ですら聞き手に余計な印象を与えてしまうとなると、自分が通訳をするときのパフォーマンスは果たして?と自問せざるを得ません。
by tenohira-ya | 2009-06-27 17:20 | 翻訳に関すること
「おねがい」のしかた――プチ語用論
前々から面白いなあと思っていた言語習慣の違いです。
中国語圏からの観光客も多い東京都庁展望台のトイレにて。

温馨 wen1xin1:心遣いが暖かい。気候が暖かで花などのよい香りがする。
提醒 ti2xing3:何かを忘れないように注意を与える、指摘してあげる、ヒントを与える。

日本語のマナーポスターなら、「お願い」というタイトルが付いているかと思います。もしくはタイトルなしかな。
~~~~~~~~~~~~~~
お願い

トイレットペーパーは水に溶けます
ご使用後はそのまま便器に流してください
ご協力ありがとうございます
~~~~~~~~~~~~~~
これを日文中訳しなさいと言われたら、〈提醒〉というタイトルにしてすましてしまいそうです。〈提醒〉というのは簡潔で使い勝手がいい言葉ですので。
でも、それではぶっきらぼうな中国語になります。
理由は、二文字ではキャッチとして落ち着きが悪い、四文字のほうが意図と内容が分かりやすいということもあるでしょう。そして、〈提醒〉が「~してやる。~してあげる。」というニュアンスを含んだ単語だからということもあります。
そこで、ネイティブな表現が〈温馨提醒〉になるのですね。「心を込めてお知らせいたします」って感じ。

ところでこのポスターが存在している理由は、なんでしょうか。
対象読者は、トイレットペーパーが水に流れない材質でできていて、使用済みの紙は個室内のゴミかごに捨てるという習慣の地域から来た人、ですね。
そしてこのポスターが真に言いたいことは、トイレットペーパーは個室内に放置したりサニタリーボックスに捨てたりしないでください、という禁止事項と、水に流してください、という指示事項です。

その禁止や指示を、日本語だったら「お願い」という一歩引いたタイトルで伝える。中国語でも、〈温馨提醒(心を込めてお知らせいたします)〉という情報伝達を装ったタイトルで伝える。

私が面白いなあと思うのは、その表現と真意とのギャップです。この例は文字に書かれた表面的な内容の奥に具体的な真意が隠れているという恰好のサンプルになってます。

こういう言語習慣を知っているといないとでは、翻訳も変わってきますね。
禁止と指示が含まれている「お願い」を〈心を込めてお知らせいたします〉と訳す。言語習慣としてこうした表現が定着しているから、読者である中国語話者は〈温馨提醒〉という表示を見て内容を理解し、言外に込められている真意を読み取ることができるわけです。それを〈禁止〉〈提醒〉などと訳してしまっては、読者はぱっと見ただけで気分を悪くしてしまうかもしれません。
「意訳」「直訳」というくくりではなく、原文が本当に言いたいことをくみ取って、訳文を読んだ読者が原文を読んだ読者と同じ反応をしてくれるような訳文を作る。そういう姿勢の翻訳をしたいなあ、と思います。

~おまけ~
同じトイレにて。

便座の上にしゃがまないでください、というお願いですね。
言葉で説明するより一目瞭然のイラスト。
ピクトグラムと呼ぶにはちょっとごちゃごちゃしているかな。
10年前の北京でもデパートやマクドナルドの便座が靴底の跡で汚れていることがよくあったけれど、五輪後の今ではどうなんでしょうか。
そういうトイレに入ってしまったときは、さすがにその便座におしりをつけたくなかったので、腰を浮かしたまま用を済ませました。超絶技巧?

~ちなみに~
この写真を撮ったのは、昨年の11月4日のことです。新宿御苑と東京都庁にお散歩に行きました。
すると……。
その日の深夜に陣痛が始まり、翌日11月5日の昼下がり、子供が生まれました!
45階まで55秒で到達する都庁の高速エレベーターの潮汐効果かも?
予定日より十日早かったんですが、安産でした。
by tenohira-ya | 2009-01-11 18:19 | 翻訳に関すること
仕事の波
どうして仕事の依頼というのは同時期に重なってしまうものなのでしょうか。

一週間の間に立て続けにいくつもの打診をいただきましたが、どれも大量の翻訳が必要な大型案件で、納期も重なり全部を受注することはできません。

いろいろな方のお話を聞くと、翻訳にかぎらず仕事が重なってしまうのはよくあることのようです。今週あたりの依頼だと、4月になり新年度第一回目の会議で事業方針が決まって翻訳会社に発注、というタイミングなのでしょうか。

お断わりした打診の中には、昨年度に受注した案件の続きで愛着のあるものもあり、残念です。
自分があと3人くらいいたらなあ。
by tenohira-ya | 2008-04-18 10:08 | 翻訳に関すること