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中国語徒然草 by 小桜
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カテゴリ:翻訳に関すること
  • 「おねがい」のしかた――プチ語用論
    [ 2009-01-11 18:19 ]
  • 仕事の波
    [ 2008-04-18 10:08 ]
  • 逐次通訳に慣れてきた
    [ 2008-04-07 11:59 ]
  • TRADOSを使ってみた
    [ 2007-09-19 12:47 ]
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    [ 2007-09-15 15:50 ]
  • 読書メモ:翻訳の社会性、社会的な現象としての翻訳
    [ 2007-08-20 13:49 ]
  • 読書メモ:「湧いてきた」訳文
    [ 2007-07-01 10:31 ]
  • 読書メモ:99パーセントの翻訳
    [ 2007-07-01 10:31 ]
  • 読書メモ:翻訳の訓練の心構え
    [ 2007-05-23 20:20 ]
  • 読書メモ:編集的観点と文体の使い分け
    [ 2007-05-23 20:19 ]
「おねがい」のしかた――プチ語用論
前々から面白いなあと思っていた言語習慣の違いです。
中国語圏からの観光客も多い東京都庁展望台のトイレにて。

温馨 wen1xin1:心遣いが暖かい。気候が暖かで花などのよい香りがする。
提醒 ti2xing3:何かを忘れないように注意を与える、指摘してあげる、ヒントを与える。

日本語のマナーポスターなら、「お願い」というタイトルが付いているかと思います。もしくはタイトルなしかな。
~~~~~~~~~~~~~~
お願い

トイレットペーパーは水に溶けます
ご使用後はそのまま便器に流してください
ご協力ありがとうございます
~~~~~~~~~~~~~~
これを日文中訳しなさいと言われたら、〈提醒〉というタイトルにしてすましてしまいそうです。〈提醒〉というのは簡潔で使い勝手がいい言葉ですので。
でも、それではぶっきらぼうな中国語になります。
理由は、二文字ではキャッチとして落ち着きが悪い、四文字のほうが意図と内容が分かりやすいということもあるでしょう。そして、〈提醒〉が「~してやる。~してあげる。」というニュアンスを含んだ単語だからということもあります。
そこで、ネイティブな表現が〈温馨提醒〉になるのですね。「心を込めてお知らせいたします」って感じ。

ところでこのポスターが存在している理由は、なんでしょうか。
対象読者は、トイレットペーパーが水に流れない材質でできていて、使用済みの紙は個室内のゴミかごに捨てるという習慣の地域から来た人、ですね。
そしてこのポスターが真に言いたいことは、トイレットペーパーは個室内に放置したりサニタリーボックスに捨てたりしないでください、という禁止事項と、水に流してください、という指示事項です。

その禁止や指示を、日本語だったら「お願い」という一歩引いたタイトルで伝える。中国語でも、〈温馨提醒(心を込めてお知らせいたします)〉という情報伝達を装ったタイトルで伝える。

私が面白いなあと思うのは、その表現と真意とのギャップです。この例は文字に書かれた表面的な内容の奥に具体的な真意が隠れているという恰好のサンプルになってます。

こういう言語習慣を知っているといないとでは、翻訳も変わってきますね。
禁止と指示が含まれている「お願い」を〈心を込めてお知らせいたします〉と訳す。言語習慣としてこうした表現が定着しているから、読者である中国語話者は〈温馨提醒〉という表示を見て内容を理解し、言外に込められている真意を読み取ることができるわけです。それを〈禁止〉〈提醒〉などと訳してしまっては、読者はぱっと見ただけで気分を悪くしてしまうかもしれません。
「意訳」「直訳」というくくりではなく、原文が本当に言いたいことをくみ取って、訳文を読んだ読者が原文を読んだ読者と同じ反応をしてくれるような訳文を作る。そういう姿勢の翻訳をしたいなあ、と思います。

~おまけ~
同じトイレにて。

便座の上にしゃがまないでください、というお願いですね。
言葉で説明するより一目瞭然のイラスト。
ピクトグラムと呼ぶにはちょっとごちゃごちゃしているかな。
10年前の北京でもデパートやマクドナルドの便座が靴底の跡で汚れていることがよくあったけれど、五輪後の今ではどうなんでしょうか。
そういうトイレに入ってしまったときは、さすがにその便座におしりをつけたくなかったので、腰を浮かしたまま用を済ませました。超絶技巧?

~ちなみに~
この写真を撮ったのは、昨年の11月4日のことです。新宿御苑と東京都庁にお散歩に行きました。
すると……。
その日の深夜に陣痛が始まり、翌日11月5日の昼下がり、子供が生まれました!
45階まで55秒で到達する都庁の高速エレベーターの潮汐効果かも?
予定日より十日早かったんですが、安産でした。
by tenohira-ya | 2009-01-11 18:19 | 翻訳に関すること
仕事の波
どうして仕事の依頼というのは同時期に重なってしまうものなのでしょうか。

一週間の間に立て続けにいくつもの打診をいただきましたが、どれも大量の翻訳が必要な大型案件で、納期も重なり全部を受注することはできません。

いろいろな方のお話を聞くと、翻訳にかぎらず仕事が重なってしまうのはよくあることのようです。今週あたりの依頼だと、4月になり新年度第一回目の会議で事業方針が決まって翻訳会社に発注、というタイミングなのでしょうか。

お断わりした打診の中には、昨年度に受注した案件の続きで愛着のあるものもあり、残念です。
自分があと3人くらいいたらなあ。
by tenohira-ya | 2008-04-18 10:08 | 翻訳に関すること
逐次通訳に慣れてきた
五日間の同行アテンド通訳から帰ってきました。
通訳をお引き受けすると、なかなか自分の通訳に満足できず、毎度毎度疲労に見舞われてしまいます。
…が、今回は少しラクになってきたかな、という兆しが!なんとなーくコツのようなものが分かってきたかもしれません。

逐次通訳なのですが、かつては1文聞いては1文訳す、という忙しい通訳をしておりました。それしかできなかったんですね。たくさんの内容を覚えていられない、メモしても内容を忘れる。いきおい、聞いたものを忘れないうちに訳してしまおうとするから主語も量詞も全部直訳、直訳というより逐語訳、だから聞いた文を訳してるはずなのに文脈がつながらない、と冷や汗たらたらです。

出版社にいたとき、社内通訳の実地体験を積んでみなさい、ということで表敬訪問やアテンド、制作打ち合せなどの通訳をさせていただきました。
そうした場でこの道20年の大先輩の通訳を見ると、もう全然違うのです。話し手が1文どころか2文も3文もそれ以上もひとくさり話すのを聞いてから(ほとんどメモもとらず)、それを見事に全部訳す。しかも自由闊達に話の順番を入れ替えているにもかかわらず、話し手の意図と文脈はきちんと聞き手に伝わる。未熟で困っている私から見ると「すごい」の一言です。
その先輩からよく注意されたことといえば、「あなたは一語一語すべて訳そうとしているけれと、もっと大きく意味をとらえて簡潔に訳しなさい」ということ。どうやら情報に過不足がないことと逐語訳とは違うものらしい、と心得ましたが、なかなか実践は上手くいきません。

今回の同行通訳ですこし見えてきた光明というのは、その先輩のように文脈をとらえながら聞き文脈をふまえながら訳す、ということができるようになってきたことです。

よくよく聞いてみると、中国語の話し手というのは大まかな主題と結論を最初に述べ、その後に主張の根拠や例を挙げるのですね。逆に日本語の話し手というのは状況説明や例を述べてから、それらをまとめた結論を言うのです。それぞれ文脈のなかでひと段落つく前に区切って一部分だけ訳すと、聞き手には全体のうちの一部分しか提供されないことになり、論旨の再構成は聞き手の努力と忍耐に委ねられることになります。
以前の私の通訳が切れ切れで冗長なものになっていた理由はこれか!と思い当たりました。

日本語ネイティブの私にとっては、やはり中日訳がラクで日中訳は大変です。中日訳なら日本語の地力でなんとかなる、そのなんとかなる部分を日中訳の中国語でも鍛えないといけないのですよね。
あるとき切実にそう思って、それからは論理的に書かれた長文の中国語素材を探してたくさん読むようにしてみました。そうすると、やはり1段落の呼吸、というか、ひとまとまりの論旨が展開され収束するまでに起承転結・序破急のようなパターンがあるのですね。1文1文の断片の内容を豊富な虚詞(接続詞とか、関聯詞とか)で連結し、「だからこうなのだ」「これでは……のわけがない」「まるで……のようなものだ」といった全体としていきいきとした文章ができあがる。
こうした“成段表达”のテクニックは、長文の読解において理解を助ける情報であるばかりでなく、口頭で話されている中国語の理解も助ける情報でした。

“成段表达”は、HSK高級の試験を受けたときに自分が最も苦手だと感じた部分です(ここが未熟だったために、11級がとれずに10級になった)。中国語でこうしたテクニックがどのように使用されているか知らなければ、自分の話す・書く中国語にも当然それは使えません。
今回の通訳がすこしラクになったな~、と感じられたのは、こうした「読む」インプットにより「話す」アウトプットの力を強化するという、勉強の成果が出たのかな、と自画自賛です。

今後も、いろいろなポイントを勉強していかなければならないけれど、自分の仕事に必要なタイプの文について、語彙だけでなく文体も含めて勉強を続けていけば、長い目で見て成長できるかな、と希望を抱く春です。



今月の“华语视频节目”、わたくしの出番は4月11日からの回と、4月29日からの回です。
NHKオンラインのサイトは、デザインがリニューアルされたようで、すっきりしました。
by tenohira-ya | 2008-04-07 11:59 | 翻訳に関すること
TRADOSを使ってみた
翻訳会社から請け負ったお仕事が、私にとって初めての大型グループ翻訳だったので、TRADOSを支給されて使い始めました。

なるほど、翻訳メモリというツールは便利ですね。
まったく同じ原文、ほぼ同じ原文があればワンクリックで参照でき、既に誰かが翻訳してあればその訳文をワンクリックで取り込める。
「この原語の訳語はこれ」と対訳用語集で指示されている単語が何千件もあるので、それをいちいちエクセルデータから検索していたら大変な労力なのだけれど、その用語集をデータベースとして指定すれば、用語集にある単語をハイライトして気づかせてくれるし、ワンクリックでその訳語を取り込める。
まさにマニュアル、統計資料、ゲームなどのローカライズに最適。間違いや用語集の見落としが減るし、複数翻訳者間で訳語を統一できるし、繰り返し翻訳が多くても翻訳者のいらいらを防止してる。

まだワンパターンの使い方しか知らないので、使いこなし方がよくわかっていませんが、自分で作りためている単語帳もデータベース化したら、普段の翻訳でも役立つのかしら?
「まったく同一の原文」「まったく同一の訳語」を求めたい場合には確実に便利ですが、辞書やコーパスではないので、文脈によって様々に意味が変わってくる単語を吟味することは難しいかな?

ちなみに翻訳メモリについてまとめて下さっているサイトはこちら。現在、何種類も普及しているのですね。
翻訳メモリ(Wikipedia)

翻訳メモリツールの長所と短所(Aaron Teaches)

それにしても、今請け負っているお仕事、原文の重複が全体の60%くらいあるそうで、TRADOS上でパチパチとクリックばかりしています。なんかちょっと、「プロジェクトの歯車」っていう気分満点。その60%はマシンになったつもりで乗り切り、残りの40%の中文日訳に全力投球します!



by tenohira-ya | 2007-09-19 12:47 | 翻訳に関すること
人民網日本語版 ニュース翻訳者の募集(北京在住)
人民網日本語版 ニュース翻訳者の募集
http://j.peopledaily.com.cn/2007/09/14/jp20070914_76803.html
「人民網日本語版」2007年9月14日

人民網はフルタイムのニュース翻訳者・編集者を募集します。

条件:

1、母語は日本語
2、北京在住の方で、事務所での週5日勤務が可能
3、大学本科以上の学歴、一定の中国語理解能力

その他:

・中国語→日本語のニュース翻訳経験者、メディア業界経歴者優先
・コンピュータとウェブに関する知識がある方歓迎
・採用前にメールを使っての翻訳テストをお受けいただきます
・契約期間は最短1年、日本の海外旅行者保険を提供します

ご興味がおありの方は、中国語と日本語の履歴書を添えてchenjj@peopledaily.com.cnまで送付してください。
by tenohira-ya | 2007-09-15 15:50 | 翻訳に関すること
読書メモ:翻訳の社会性、社会的な現象としての翻訳
『翻訳通信』第63号(2007年8月号)
山岡洋一「翻訳の理論のために」より

「既存の翻訳論はたいてい、文学か言語という観点から書かれている。それはそれでいいのだが、社会、歴史という観点が抜け落ちていることが多い」

「翻訳というものの出発点は、2つの共同体、言語を共通項とする共同体の接触である。…(中略)…そのとき、2つの共同体がどのような関係を結ぶかによって、翻訳が発生する場合もあるし、発生しない場合もある」

「翻訳を行うのは、学んだ内容を同じ言語を使う共同体に伝えるときである。だから、翻訳はいつでもどこでも社会的な現象なのだ。何をどのように翻訳するのかは、2つの共同体の関係によって変わる。そして、翻訳は2つの共同体の関係に影響を与える」

「現実に翻訳されている量を考えれば、小説などのフィクションの分野はたぶん、10%にも満たない。はるかに重要なのが、論理を扱う分野だ。自然科学や技術、社会科学などの分野は翻訳量がはるかに多い」

「これらの分野の翻訳も視野に入れて翻訳論を組み立てていくのであれば、社会的な要因、歴史的な要因を考える機会も多くなるように思える。それに、言語を共通項とする共同体が他の共同体に出会い、学ぼうとするとき、主戦場になるのは、文学ではなく、論理の世界のはずである」

--
翻訳という行為が、何のために、いつ、行われているのか。
これまで以上に、気づかずにいた視点を考えさせられました<小桜>
by tenohira-ya | 2007-08-20 13:49 | 翻訳に関すること
読書メモ:「湧いてきた」訳文
「翻訳者というものはしばしば、原作者が日本語を知っていたらこう書くに違いない、という確信に襲われるものです。そういうときに出てくる訳文は、もちろん直訳ではないにせよ、いわゆる「意訳」という言葉が暗示するような、意図的操作の産物でもありません。そして、経験的にいうと、こういうふうに「湧いてきた」訳文が、少なくともその訳者の能力内では、最良のものなのです。」

――柴田元幸「翻訳――作品の声を聞く」(『知の技法』東京大学出版会、1994年4月)より。
by tenohira-ya | 2007-07-01 10:31 | 翻訳に関すること
読書メモ:99パーセントの翻訳
「そもそも原文というものにしても、言語化される以前の「世界」なり「想い」なりを言語に「翻訳」したものにほかならないのであって、いかなる文章も完全な「原文」ではありえないのでないか、という、本格的な翻訳論ではかならずお目にかかる議論の方向に、話を持っていくことも可能でしょう。」

「翻訳の「現場」で作業をする者にとっては、翻訳で100パーセントを伝えるのが不可能であることよりも、ひょっとすると99パーセントなら可能かもしれないことのほうがはるかに大事であり、翻訳において原文の90パーセントなり80パーセントなりが伝わってしまう(……中略……)ことのほうがずっと大きな驚きなのです。」

「たとえば西洋史を見れば、80パーセントなり90パーセントなりのそこそこ(……中略……)の翻訳が文化を動かしてきたと言って過言ではありません。中世のヨーロッパは、ギリシャの数学や医学や天文学を、そのアラビア語訳のそのまたラテン語訳を通して学びました。ルネッサンスとは人間復興の時代だったと言われますが、それは要するに、一大翻訳ブームのことでもあったのです。」

――柴田元幸「翻訳――作品の声を聞く」(『知の技法』東京大学出版会、1994年4月)より。

by tenohira-ya | 2007-07-01 10:31 | 翻訳に関すること
読書メモ:翻訳の訓練の心構え
2006年5月『翻訳通信』第48号 「『ミル自伝』を訳す」(山岡洋一)より

「翻訳の場合はそうはいきません。課題文を翻訳してもらってできた具体的な問題を指摘し、どこに問題があり、どうすればもっとうまくできるかを具体的に教えても、同じ原文を訳すことはなく、同じ表現を訳すこともまずありません。個別具体的にこの部分がうまく訳せるようになっても、じつはあまり意味がないのです。もっと一般的な技術を磨き、一般的な考え方を身につけなければ上達しないのです。」

「翻訳の基本について、3つの点を指摘します。第1に、翻訳とは意味を伝えるものだという点、第2に、翻訳にあたっては構文解析がきわめて重要だという点、第3に翻訳にあたって辞書や資料を最大限に活用すべきだという点です。」

「 翻訳者はたぶん、辞書の使い方が一般の人と違っています。いちばん違う点は、辞書を引く頻度でしょう。1日に何十回も何百回も辞書を引きます。知らない言葉がでてきたときだけではなく、知っている言葉でも、繰り返し辞書を引きます。確認のために引く場合もあるし、知っている言葉でも意味が知っているものとは微妙に違っていると感じたときにも辞書を引きます。」

「 また、翻訳者は容易なことでは辞書を信じません。とくに英和辞典は信じません。何故かというと、英和辞典には「訳語」が並んでいますが、語や連語の「意味」が書かれていないからです。翻訳にあたって必要なのは訳語ではないかと思われるかもしれませんが、そうではありません。翻訳にあたって必要なのは、意味の理解です。意味が理解できれば、それを日本語でうまく表現するのが翻訳です。「訳語」がいくら並んでいても、意味が分からなければ、訳文は書けないのです。」

「 翻訳に使うのは辞書だけではありません。それ以外に様々な資料や文献などを使います。手に入るもの時間の許す限り最大限に活用して、質の高い訳を読者に提供するのが翻訳です。活用すべき文献のひとつに既訳があります。(中略)ただし、既訳を真似るだけで終わらないように。既訳がある場合の翻訳とは、既訳を越えなければ意味がありません。既訳をよく検討し、既訳を超える訳をだすよう努力してください。」
by tenohira-ya | 2007-05-23 20:20 | 翻訳に関すること
読書メモ:編集的観点と文体の使い分け
2006年4月『翻訳通信』第47号 【名訳】池央耿訳『小説作法』(須藤朱美)より

「 わたしは翻訳を純粋な創作活動ではないと考えています。それは翻訳者が文筆業のなかでもきわめて編集的観念でものを見ざるを得ない職業だと思っているからです。内容は既に目の前に用意されています。課された役割は内容を創造することではありません。原文で内容を理解し、誰に読んでもらうか、どう読んでもらうかを原著者の立場で考えつつ、日本人の視点で文章を組み立てる技が翻訳者に求められているからです。」

「 ひと通り見まわしてみたところ、優れた職業翻訳家は複数の文体を意図的に使い分けているように感じます。たとえば同じ原著者の同じテイストの作品だけを永遠に訳しつづけるのであれば、もしかしたら文体はひとつきりで困らないのかもしれませんが、翻訳を生業とするからには、そういった状況はあまりに非現実的です。たとえ作家や専門分野を狭め、作品を選んで仕事をする状況にあったとしても、日本での読者対象や内容の情報価値を考えた場合、翻訳はいつも同じ文体で訳してさえいればよいというものではない気がするのです。」
by tenohira-ya | 2007-05-23 20:19 | 翻訳に関すること