実務翻訳にもいろいろな原稿がありますが、中には正直いうとやる気を失わないのがやっとという案件もあるもの。
内容が大体分かればよいからだけだからザッと、という依頼。これなら、まだそれでも翻訳者が必要とされている感じがしていいほうかな。
すでに処理済みの事案について、書類の管理手続きとして和訳も保存することになっているから翻訳を外注する。こういう場合はあまり役に立った実感が持てないけれど、誰かの作業を代わりに引き受けてるという点では人助けになってるのかな。
予算が取ってあるから、きっちり消化するために案件をひねり出して外注する。こういう依頼の場合、きっとどこかで誰か読んでくれる人はいるはず、と自分に言い聞かせ言い聞かせ取り組まないと、著しく作業ペースが落ちてしまいます。
近年の価格破壊で、15年前なら考えられなかったような安価の案件が増えました。
私は下請けコーディネーターとしてさらに外注することも多いのですが、チェック工程の費用を捻出できず、翻訳プラス日本語校正のみ(プラス構文誤訳チェックをボランティアで)、という案件が続いています。
元請けには、プラス内容チェックの価格提案もしていますが、たいていは日本語校正のみ、に落ち着きます。もっと厳密な訳稿を仕上げたいなあ、と思っても、蓋をあけてみれば上述のような理由でクライアントがそれを必要としていない。そもそも、だから安価な案件になっているわけです。
充分な納期と適切な報酬があれば、もっといい仕事に仕上がるのになあ、まあ、それを求められていないんだから仕方ないか……、そんな風に嘆息してしまう日もありまして。
案件依頼を受けるとき、その訳文がどんな仕事でどのように利用されるのか、という背景をクライアントが伝えてくださると、とてもやる気が出ます。
ようするに私は、翻訳者として人のお役に立てたという実感を味わいたくて仕事をしている、のかな。
どんな案件であれ報酬をいただいているのだから、どの案件に対してもプロとして誠実に取り組むのが当然とは思う。思うんだけれども、やる気というものは、コントロールの難しいものです。
こんなことを言っているのは、私がまだまだヒヨっこだからなのかなあ。